フィリピン台風その後(原 奈々子)
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フィリピン台風その後(原 奈々子)

2015年02月02日(月)10:48 AM

2013年秋に発生したフィリピン台風では、首都マニラのあるルソン島南部と、ビサヤ諸島の北部の島々に甚大な被害がもたらされました。これを受けFCSは、台風発生当初から緊急支援活動を行っていたHEMMI代表Joy Tica医師と連絡を取りながら被害地域の情報を入手し、2014年1月中旬に、活動報告のために来日した師とそのボランティア・チームとの会合を持って支援活動の詳細を聞き、彼らの活動に必要な医薬品を購入するために必要な額の一部を経済的に支援することを決め、実施しました。

HEMMIの普段の活動は、無医村や離島に医療チームを率いて訪問し、医療支援活動を行うことがメインですが、この時は緊急支援物資を被災者一人一人に配布できるように食糧・水などを小分けパッキングし、船と車を乗り継いでそれらを被災地域へ運び、必要に応じて医療活動を行うというものでした。フィリピンは熱帯に位置する気候柄、被災した地域の衛生環境は普段にも増して劣悪であることは容易に想像でき、そうした状況に比例するように医療支援の必要も生じることから、HEMMIの活動は時間の経過とともに医療活動が中心となっていきました。

災害発生から半年が経過してくると、フィリピン政府からの情報は激減し、国際的な支援団体による支援活動についても大々的に報じられることはなくなりました。フィリピン政府によって公式発表された情報は2014114日時点のもので、「国家災害リスク削減委員会」によるものです。それによると、死者6,201人、負傷者28,626人、行方不明者1,785人、被災者数1,600万人以上、倒壊家屋114万個余、インフラ・農業・漁業などへの被害総額366億ペソ(約854億円)に達したとのことです。また、国連によって発表された「2014年1月以降の状況」は以下の通りです。

被災地域は9州にまたがる約1290万人、そのうち約400万人が避難生活を余儀なくされ、また、その約400万人のうち約35万人が、1560ヶ所の避難所で生活。約250万人の被災者は食糧の問題に直面。フィリピン中部に位置するタクロバン市(今回最も被害が大きかった地域の一つ)では、4つの地区で46%以上の医療施設が台風被害により封鎖されており、628の学校も被災。この時点で、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)がタクロバンに向けてフェリーやトラックによる救援物資の輸送を行っている。

HEMMIの活動としては、その後、災害発生当初の緊急支援活動から、次第に普段の支援活動に移行していっていますが、もともと彼らが訪問していた地域には、今回被災した離島のような地域が多いため、日頃の訪問地域の中にあらたに被災地域が加わったという自然な形となっています。今回フィリピンを襲った台風はまれに見る巨大台風であったため、その情報は世界に広く報道されましたが、実のところ、フィリピンで台風の通過ルートにおおよそ位置する沿岸部や島々では、台風のたびに高潮や洪水などの被害に見舞われることが日常的にあり、そこに加え、沿岸部や小さな島々に居住する住民にはもともと貧困層が多いという問題もあり、従来の問題と今回の巨大台風の被害由来の問題とをどこで線引きするかも非常に難しい課題です。また、外部の支援団体の支援のありようについても、無条件の現金支給などを試みた団体もあり、支援団体の取り組みに対する評価も様々です。

しかし、2014年3月にセブ島北部の被災地域を訪問したときに確認したことですが、現地のフィリピン企業やNGO団体による主体的な取り組みが生まれている地域もあり、その取り組みにも様々な工夫が見られる点もあるため、今回の台風について外資や多国籍NGOによる支援は終了するのが望ましい、というのが率直な感想です。私たちとしても、今後は現地の状況を見極め、必要に応じて、現地で平時からも僻地医療支援活動を続けているHEMMIと、その代表であるJoy医師と協力しながら取り組んで行きたいと考えています。